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目次
はじめに:遺伝子研究の新時代到来

2025年6月25日、Google DeepMindが発表した「AlphaGenome」は、遺伝子研究に革命をもたらす画期的なAIツールです。これまで解析が困難だったヒトゲノムの98%を占める非コード領域の解析を可能にし、DNA配列の変異が生物学的プロセスにどのような影響を与えるかを包括的に予測できる世界初の統合モデルです。
2003年にヒトゲノムプロジェクトが完了してから20年以上が経過しましたが、30億文字からなるDNA配列の大部分は依然として謎に包まれていました。AlphaGenomeは、この「ダークマター」とも呼ばれる非コード領域に光を当て、遺伝子変異の分子レベルでの作用機序を迅速かつ正確に予測することを可能にします。
MIT Technology Reviewによると、スローン・ケタリング記念がんセンターのカレブ・ラロー助教授は「これまでで最も強力なゲノムモデル化ツール」と評価しています。
AlphaGenomeとは何か?従来技術との決定的違い
従来技術の限界
これまでのゲノム解析AIは、大きく二つのタイプに分かれていました:
- 高解像度だが短い配列しか扱えないモデル
- 長い配列を扱えるが低解像度のモデル
また、多くのモデルは特定の機能(例:タンパク質構造予測、遺伝子発現予測)に特化しており、包括的な解析には複数のツールを組み合わせる必要がありました。
AlphaGenomeの革新性
AlphaGenomeは、これらの制約を一挙に解決します:
- 最大100万塩基対の長大な配列を一度に処理
- 1塩基対レベルの高解像度予測
- 11の生物学的モダリティを同時に予測
- 数千種類の分子特性を包括的に解析
Google DeepMindの研究担当副社長プッシュミート・コーリ氏は、「初めて、ゲノム理解に伴うさまざまな課題を統合した単一のモデルを作り上げました」と述べています。
98%の非コード領域解析を可能にした革新技術
非コード領域の重要性
従来の遺伝子研究は、タンパク質をコードする領域(全ゲノムの約2%)に注目してきました。しかし、残りの98%を占める非コード領域は「ジャンクDNA」と呼ばれながらも、実際には遺伝子のオン・オフを調節する重要な機能を持っていることが近年の研究で明らかになっています。

AlphaGenomeの非コード領域解析能力
AlphaGenomeは、これまで解析困難だった非コード領域の多様な機能を予測できます:
- エンハンサー・プロモーター相互作用:遺伝子から離れた場所にある調節配列の影響を予測
- クロマチン構造:DNAがどのように折りたたまれ、どの部分がアクセス可能かを解析
- 転写因子結合部位:特定のタンパク質がDNAのどこに結合するかを予測
- RNAスプライシング:遺伝子からタンパク質への情報変換過程での切り貼りパターンを解析
AlphaGenomeは世界で初めて「遺伝子変異がRNAスプライシングに与える影響」の分析にも対応したとされています。
驚異的な性能:ベンチマーク結果が示す圧倒的優位性
包括的ベンチマーク評価
AlphaGenomeの性能は、厳格なベンチマーク評価により実証されています:

具体的な性能指標
単一DNA配列予測タスクでの成果:
- 24の評価項目中22項目で最高性能を達成
- 多機能モデルBorzoiと比較して、遺伝子発現予測で+17.4%の相対的改善
変異効果予測タスクでの成果:
- 26の評価項目中24項目で最高またはトップレベルの性能
- eQTL(発現量的形質遺伝子座)予測でBorzoi比+25.5%の改善
- caQTL(クロマチンアクセシビリティQTL)予測でChromBPNet比+8.0%の改善
専門特化モデルとの比較:
- Orca(立体構造モデル):コンタクトマップ予測で+6.3%、細胞型特異的差異で+42.3%
- ProCapNet(転写開始モデル):+15%の改善
- ChromBPNet(アクセシビリティモデル):ATAC-seqで+8%、DNase-seqで+19%の改善
処理速度の革新
従来、数時間を要していたゲノム解析を数秒で実行可能。NVIDIA H100 GPUでの推論時間は1秒未満という驚異的な高速化を実現しています。
技術仕様:1メガベース処理を実現するアーキテクチャ
U-Net型アーキテクチャの採用
AlphaGenomeは、医用画像解析で成功を収めたU-Net型のエンコーダー・デコーダー構造を採用しています:

アーキテクチャの特徴
- マルチスケール処理:
- 1次元埋め込み:1bp~128bp解像度
- 2次元埋め込み:クロマチン立体構造用
- ハイブリッド学習機構:
- 畳み込み層:局所的な配列パターンの検出
- トランスフォーマーブロック:遠距離依存関係(エンハンサー-プロモーター相互作用等)の学習
- 大規模並列処理:
- TPUv3 8デバイス(512コア)での分散学習
- シーケンス並列化による効率的な1Mb配列処理
2段階学習プロセス
- プレトレーニング段階:
- ENCODE、GTEx、4D Nucleome、FANTOM5等の大規模公開データでの事前学習
- 5,930種類(ヒト)、1,128種類(マウス)のゲノムトラックデータを活用
- 蒸留(Distillation)段階:
- 複数の教師モデルから単一の生徒モデルへの知識転移
- 推論効率と予測精度の両立を実現
実用的応用:疾患研究から合成生物学まで
疾患研究への応用
AlphaGenomeは、疾患の分子メカニズム解明に強力なツールを提供します:
希少遺伝性疾患の診断支援:
- 患者のゲノム配列から病因となる変異を特定
- 従来は原因不明だった症例の診断可能性向上
がん研究での活用:
- T細胞性急性リンパ芽球性白血病(T-ALL)でのTAL1オンコ遺伝子変異メカニズムを正確に予測
- 新規MYB結合モチーフの形成による遺伝子活性化を再現
合成生物学への貢献
カスタムDNA設計:
- 特定の細胞(神経細胞のみ、筋肉細胞では非活性)でのみ機能する調節配列の設計
- 産業用微生物の効率的な遺伝子回路構築
創薬研究の加速
新薬ターゲットの発見:
- 疾患関連変異の分子レベルでの作用機序解明
- より精密な薬剤設計のための分子標的特定
ミュンヘン工科大学のジュリアン・ガグヌール教授は、「がんの特徴は、DNAの特定の突然変異が、誤った遺伝子を誤った状況で発現させることです。AlphaGenomeのようなツールは、どの突然変異が適切な遺伝子発現を阻害しているかを絞り込むのに役立ちます」と評価しています。
現在の限界と今後の展望
現在の技術的制約
Googleは、AlphaGenomeの現在の限界についても透明性を持って公開しています:
- 超遠距離調節の限界:
- 10万塩基対以上離れた調節要素の影響予測は依然として困難
- 細胞・組織特異性:
- より詳細な細胞型・組織型特異的パターンの捕捉能力向上が必要
- 複雑形質への応用:
- 分子レベルの予測から複雑な疾患・形質への橋渡しは今後の課題
- 個人ゲノム予測:
- 現段階では個人の特性予測には設計・検証されていない
将来の発展方向
バーチャル細胞の実現:
Google DeepMindのCEOデミス・ハサビスは「私の夢は、バーチャル細胞をシミュレーションすることです」と語っており、AlphaGenomeはその重要なマイルストーンと位置づけられています。
さらなる種・モダリティの拡張:
- より多くの生物種への対応
- 新たな生物学的モダリティの統合
- より高精度な予測モデルへの進化
まとめ:遺伝子研究の未来を切り開くツール
AlphaGenomeは、単なる新しいAIツールを超えて、遺伝子研究のパラダイムシフトを象徴する革新技術です。これまで解析困難だったゲノムの98%を占める非コード領域の包括的解析を可能にし、疾患の分子メカニズム解明から新薬開発、合成生物学まで幅広い分野に革命をもたらす可能性を秘めています。

現在、AlphaGenomeは非営利研究向けにAPIとして無料提供されており、世界中の研究者がこの画期的技術にアクセスできます。Google DeepMindは、将来的にはモデルの完全な詳細を公開し、営利組織での利用も可能にする計画を発表しています。
アクセス方法
研究者の方は以下のリソースを活用できます:
- AlphaGenome API: GitHub Repository
- コミュニティフォーラム: AlphaGenome Community
- 技術論文: bioRxiv preprint
AlphaGenomeによって、これまで理論的にしか語られなかった「ゲノム全体の包括的理解」が現実のものとなりつつあります。この技術が今後どのような医学的ブレークスルーをもたらすか、世界中の研究者と患者が注目しています。